日記
サロベツ牛乳
近くのスーパーで見つけた「サロベツ牛乳」
北海道最北端に位置し、広大なサロベツ原野を開拓した農地の牧草を使って生産された牛乳です
サロベツ原野では、大作映画「人間の條件」(1961)のロケが行われました。雪原に倒れた主人公(仲代達矢さん)の上に雪が降り積もる圧巻のラストシーン。いつまでもカットと言わない監督の指示でずっと寒さに耐えた仲代さんが「本当にこのまま死ぬかと思った」そうです。
この映画は、旧満州帝国を舞台とし当時の国際情勢からサロベツでの撮影が行われたものです。奇遇ですがサロベツ原野を開拓したのはその満州からの引揚者でした
この開拓を指導したのが、満州移住協会参事として満州開拓の立案、送出、指導を行った松川五郎氏
松川氏が満州に送り出した青年の一行120名余りが命からがら帰国して、その後サロベツ原野を含む宗谷の土地に入植したものの「どうしてもうまくいかない」という彼らの困窮を救うために、松川氏は札幌の農協組合長の職を辞して私財をなげうって開拓指導にあたっていました
北海道の開拓は、すでに戦前に立地条件の良い場所は開拓済みで、戦後の引揚者が開拓した場所はサロベツ湿原のように、今まで誰も手をつけられなかったような劣悪な場所しかありませんでした
戦後の開拓を担当した行政官が、「入ったら死ぬわ」と言ったサロベツ原野の開拓は大変なものでした。湿原ですから、置いておいた作業機が、一晩で跡形もなく湿原内部に沈んでしまうこともあったそうです
「人間の條件」の映画の五年後、1966年にこの松川氏がサロベツの開拓農民、阿部又右衛門さんにあてた手紙の一節にはこのような記載があります
「(前略)北海道の農業についていろいろと考えさせられています。ともかく日本が食糧を外国に依存している間、すなわち日本が日本の農業に頼らないという風潮が是正されない以上良くなりっこありません。(後略)」
今から20年ほど前のこと。前職でサロベツ原野における自然環境の保全と農業開発の両立を図る計画作りに農業側の担当者として参画した際、サロベツ原野の開拓に関わってこられた方より、「まず歴史を知っておきなさい」と多くの資料をいただいた中にあったものです
京都でサロベツ牛乳をいただきながら、サロベツに関わった多くの先人たちに思いをはせています
食べ物を五感でしっかり味わうことが、生産地の風景や生産者の思いを感じるきっかけになることを願って「味の教室」の活動をしています