日記
大根炊き
「今日は千本釈迦堂で大根炊き(だいこだき)です」というニュースを聞いたら無性に食べたくなりました。
大原の朝市で購入した音吹畑の高田さんの大根がありました。ストンと切れてみずみずしい。
羅臼昆布と伊吹島のイリコの粉をダシにして、出来上がり。ゆずはお向いさんからいただいたもの。
おいしいなあ、温まります。
伊吹島のイリコ出汁は讃岐うどんに欠かせない出汁とのこと。
私は千葉県出身ですが、煮干しのダシに一番親しみがあります。
子どもの頃、九十九里浜に近い町から荷物を背負って海産物を売りにきていた行商のおばあちゃんを思い出します。
サラリーマン時代は、浜松町駅のトンカツ屋(味噌汁が煮干し出汁)、旭川のラーメン(煮干しのスープ)、などを楽しみに出張していました。
今年、煮干しの製造工程を紹介する目的で撮影のために伊吹島を訪問しました。
当初予定の訪問地が現地が不漁で撮影困難との連絡があり、次に打診した場所は満月や台風等の影響で日程調整がつかず、たまたま連絡した伊吹島での今年最後の漁にギリギリ間に合いました。
鮮度が命の煮干し作りに様々な工夫、努力がされていました。「銀つき」という品質へのこだわり、勉強になりました。
しかし海の環境もここ数十年で大きく変わったそうです。魚種や漁期。
そして島ならでは就労環境と後継者問題。
いつまでも、このおいしい伊吹イリコがあることを願いつつ、伊吹島をあとにしました。
これ食べられるの?~新奇恐怖を克服する社会学習を保育園幼稚園で~
「食物新奇恐怖」として知られる現象があります。
2歳から6歳の間に出現がピークを迎えるとして知られています。
小さな子どもは、親から与えられる食べ物に完全に依存し、それを盲目的に食べていますが、
親の管理から離れて自立していこうとする過程で、まず「知らないものは口にしない」という態度をとるのは本能的なものです
周囲のものを手当たり次第に口にしたら、毒物でもすぐに口にして生命の危機となってしまいます
しかし、雑食動物として進化してきた私たち人間は、「いろいろなものを食べる」ことによってさまざまな環境条件でも適応して生き残る力強さを獲得してきました
そこで「食物新奇恐怖」を克服して乗り越えていくには、どういった取り組みが必要でしょうか
自分自身が身をもって体験する個体学習と、周囲の者が食べる様子を見て学ぶ社会学習があります
私たちの「じゃがいも」を使った講座の例を紹介します
「じゃがいも」の中に、見慣れない「紫のじゃがいも」を混ぜておきます
観察過程で、最初は「石ころ?」と発言した園児も、その後、触ったり匂いをかいだり、中にはトントンと机の上で叩いて打撃音を聞くことで、次第に「じゃがいも?」と思うようになります
それでも試食の際には、多くの園児が明らかに食べるのを躊躇する仕草を見せます
しかし園児の中で何人かが試食して「美味しい!」と声をあげると、その様子を見て躊躇していた子どもたちも食べ始めます
まさに「社会学習」です
こうした学習を子どもたちは毎日の給食でも、お友だちの様子を観察しながらしているのでしょうね
園の役割は大きいですね
以下の写真は、子どもたちに体験させる「中を見ないで靴下内からジャガイモを取り出す」活動の例です
あなたは、この中に「食べられないもの(ジャガイモでないもの)」がいくつあるかわかりますか?
正解はこれです
大丈夫ですか?
イリコ(煮干し)の匂いの出る自販機?!
サロベツ牛乳
近くのスーパーで見つけた「サロベツ牛乳」
北海道最北端に位置し、広大なサロベツ原野を開拓した農地の牧草を使って生産された牛乳です
サロベツ原野では、大作映画「人間の條件」(1961)のロケが行われました。雪原に倒れた主人公(仲代達矢さん)の上に雪が降り積もる圧巻のラストシーン。いつまでもカットと言わない監督の指示でずっと寒さに耐えた仲代さんが「本当にこのまま死ぬかと思った」そうです。
この映画は、旧満州帝国を舞台とし当時の国際情勢からサロベツでの撮影が行われたものです。奇遇ですがサロベツ原野を開拓したのはその満州からの引揚者でした
この開拓を指導したのが、満州移住協会参事として満州開拓の立案、送出、指導を行った松川五郎氏
松川氏が満州に送り出した青年の一行120名余りが命からがら帰国して、その後サロベツ原野を含む宗谷の土地に入植したものの「どうしてもうまくいかない」という彼らの困窮を救うために、松川氏は札幌の農協組合長の職を辞して私財をなげうって開拓指導にあたっていました
北海道の開拓は、すでに戦前に立地条件の良い場所は開拓済みで、戦後の引揚者が開拓した場所はサロベツ湿原のように、今まで誰も手をつけられなかったような劣悪な場所しかありませんでした
戦後の開拓を担当した行政官が、「入ったら死ぬわ」と言ったサロベツ原野の開拓は大変なものでした。湿原ですから、置いておいた作業機が、一晩で跡形もなく湿原内部に沈んでしまうこともあったそうです
「人間の條件」の映画の五年後、1966年にこの松川氏がサロベツの開拓農民、阿部又右衛門さんにあてた手紙の一節にはこのような記載があります
「(前略)北海道の農業についていろいろと考えさせられています。ともかく日本が食糧を外国に依存している間、すなわち日本が日本の農業に頼らないという風潮が是正されない以上良くなりっこありません。(後略)」
今から20年ほど前のこと。前職でサロベツ原野における自然環境の保全と農業開発の両立を図る計画作りに農業側の担当者として参画した際、サロベツ原野の開拓に関わってこられた方より、「まず歴史を知っておきなさい」と多くの資料をいただいた中にあったものです
京都でサロベツ牛乳をいただきながら、サロベツに関わった多くの先人たちに思いをはせています
食べ物を五感でしっかり味わうことが、生産地の風景や生産者の思いを感じるきっかけになることを願って「味の教室」の活動をしています
昔からの砂糖屋さん
京都には、昔からの専門店がところどころに残っています。
今日は、近くの商店街の砂糖屋さんに立ち寄りました。
写真は上段左から「波照間黒糖」、「赤砂糖」、「グラニュー糖」、「五温糖」です。
「黒糖」は知っていますが、「赤砂糖」「五温糖」ははじめてです。
「赤砂糖」って何?と聞いたら、奥から袋を持ってきてくれました。
種子島の国産のお砂糖だよ、と説明してくれました。
「五温糖」も聞きたかったのですが、高齢のご主人にまた重そうな袋を運んでいただくのは気の毒に思え、遠慮しました。
またの機会にしましょう。
最近、店主の高齢化にあわせて閉店するお店も多くなりましたが、こうしたお店が少しでも長く残ってほしいものです。
種子島には行ったことがありませんが、行った気分になって少しなめてみました。